なぜか雪の弘前にいた。
山口洋と細海魚の音楽を聴くためだ。
地震が起こり、列車が止まり、行くことをあきらめ、旅費とチケット代は主催者にドネーションとして送るつもりだった。
いくつかの取材も、4月頭に予定していたニューヨーク行きも延期にした。しばらく東京を離れられない。そう思っていた。
なのに、衝動的に青森行きの飛行機チケットを買い、空港からバスに乗って弘前へと向かう自分がいた。とりつかれたように。
心は晴れる暇もない。
情報が錯綜する東京で、重い気持ちと時々あふれて止まらなくなる涙と、何もできない罪悪感と、普通の生活をしなければというあがきのなかで、疲れ果てていた。被災していない人間が…情けない。
弘前学院大学礼拝堂。ステンドグラスから青い光がこぼれる。
山口洋は今まで見たことのない不思議なオーラを放っていた。
震災時はアメリカにいて、2日前に帰国したばかり、
予定していたライブを急遽チャリティーに変更したという。
ライブの間、彼は「震災」という言葉も「募金」という言葉も
「がんばろう」という言葉も発さなかった。
淡々と、時に力強く熱を帯び、1台しか持ってこられなかったというアコースティックギターを鳴らしながら唄う。いつものステージのように。
受けないジョークを口にするのもいつも通り。
けれども、奏でられる音は祈りに満ちていた。苦しいほどの。
かきむしられ、なだめられ、震え、うずまく。
風のように、波のように。
このようなギターの音を私は聴いたことがない。
「メメントモリ」という言葉を思い出す。
死者を憶う…という言葉。
藤原新也の本で知った言葉。忘れていた言葉。
北の礼拝堂が音楽で満ちた夜、私はそこにいることができてよかったと心から思った。
ポジティブでなくて申し訳ないけど、勇気をもらったとか、音楽のちからを感じた、とかそういう言葉とは少し違う。
海に呑まれてしまったひとたちと自分との区別がつかないままで、私は弘前にいた。それでいいのだと思えた、ある種の安堵。
私は音楽を欲していたのだとはじめて気づいた。
ライブはUst中継も行われたらしい。多くの人が「満月の夕」に思いを寄せたことだろう。募金もたくさん集まったようだ。
雪が舞うように音は降り注ぐ。
弘前で見た音の風景を私は一生忘れないと思う。